信州大学から松島恒熙先生をお招きし、哲学対話を実践しました。哲学対話とは、設定した問いについて、みんなで意見を出し合って、考えを深めていくというものです。生徒たちの意見と「先人の哲学者たち」の考え方の共通点などを紹介してもらいながら、90分間、「人の意見をしっかり聴き、自分の言葉で考えるということ」を実践しました。数名の先生方も加わり、白熱した対話が繰り広げられました。
生徒の感想をいくつか・・・
今回のセミナーで行ったトロッコのことについて班で話してみるということをやるといろいろ違った意見が出てきて面白かったです。何に重きをおくのかで選択は変わって、その選択が正しいのか間違っているのかわからないところをずっと考えて追求することができることが哲学の面白いところだなと思います。
0時に世界が終わるとしたら自分が何をするか考えたとき、割と普段の生活と変わらないことを自分が選んでいることにびっくりしました。(意外と悔いの残らない生活をおくれているのだろうか…。)
哲学とは、名前は聞いたことがある程度でしたが、存在論、認識論、価値論という3要素に分かれることを知りました。自分の価値観をよりはっきり理解するきっかけになって、他の人の考えも聞いたことでその人の考え方を知りその人をより知ることができたように感じました。なぜある人物(家族でも友人でも誰か1人)は生存しているのか、なんのために、何をするために生きているのか。理由がないのなら生きている必要はないのではないのか。など、このようなことを小学生の頃に考えている時期がありましたが、これも哲学だったのかと理解することができました。
ウォーミングアップで、自分は迷わずした選択をクラスメートはすごく悩んでいて、何に悩んでいるのかがわたしはもちろん、本人自身も分かっていなさそうだった。そういう感覚的なところで人は誰ともわかりあえない部分があると思う。ここからは今日の問いである「今日0時に世界が終わるとしたら自分は何をするか?」ということについて考えていきたい。
ハイデガーの「死への存在」に対して私は今十分やりたいことができていると感じている。私は現段階で私自身が、勉強をさせられているのではなく好きでやっていると捉えている。この考えでいうと、毎日ほとんどの時間を好きなことに使えているということになる。それだけで自分にとっては充分その日を有意義に過ごせていると思う。最後に、schoolの語源になっているscholeという言葉が「遊び」という意味である、ということを聞いた。それは自分にとって「学ぶこと」の価値や意義がなんなのかと改めて考えさせられる話であった。「学ぶこと」がどのようなことか自分なりに考えた結果次のようなことではないか、と思った。
まず、scholeという言葉は古代ギリシャ語であり、「遊び」という意味の他に「余暇」といった意味もある。古代ギリシャでは貴族たちはscholeがあったから哲学的に物事を考え、教養を身につけることができた。ではなぜ古代ギリシャの貴族にscholeがあったのか、それは奴隷に仕事を任せていたからである。これらのことを踏まえて、わたしは「学ぶこと」は古代ギリシャの哲学者になるか、奴隷になるか、ということだと思う。
知識を深める中で疑問に思ったことを追求・探求していく「古代ギリシャの哲学者」になるのか、はたまた先生から言われた勉強という名の仕事を淡々とやる「奴隷」になるのか、それは本人次第で学力の有無に関係なく言えるのではないか、と考えた。私はいわゆる「古代ギリシャの哲学者」になりたいと思うし、それでこそ知識を深めることに価値があると考える。
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